写真関係のSNSで「カメラはただの道具」と考えてる人が多くて意外だった。
写真を撮る上でカメラは必需品であり、カメラの恩恵なしには写真なんて一枚も撮れないと思っているボクには「カメラはただの道具」とはちょっと思えないからだ。
カメラを「ただの道具」と思うことを批判したいわけではない。どう思おうと自由だ。おそらく、「ただの道具」という表現には「どんなカメラ(道具)を使っても狙った写真を撮れる」という自負が込められているんだろう。その自負を批判するつもりは全くない。
ただカメラに対するこの認識の違いはどこから来るんだろうと考えずにはいられなかった。
で、この認識の違いは写真に対するスタンスの違いなのかなと思ったのでちょっと整理してみたいというのがこの投稿の主題だ。
そのスタンスの違いはAI生成画像を写真として受け入れられるか、受け入れるのに違和感を感じるかの違いにもつながると思う。
写真に対するスタンスと書いたが、まず鑑賞する時のスタンスってざっくり2つのスタンスがあるんじゃないだろうか?
【写真鑑賞スタンス】
●主観派
写真は作品なので、見方は自由。作品には全てが詰め込まれているので、余分な情報は入れずに主観・想像力で鑑賞し、純粋に写真を鑑賞するのに付帯情報がない方を好む派。(フィルターを通して見たくない派とも言えるかな?)
●客観派
写真は、カメラで捉えた記録としての側面もあるので、客観的な事実(どこで撮ったとか、機材はなにかとか)があった方がより深く写真を鑑賞できると思う派。(多角的な視点で見たい派とも言えるかな?)
主観派の立場に立つと、客観派は多重フィルターの色眼鏡で写真を見てて、写真と直接向き合ってないように見える。
客観派の立場に立つと、主観派は経験値フィルターだけで写真を見てて、背景をも考慮しながら鑑賞の解像度を高めて見ていないように見える。
実際はどちらかの派ということではなく、状況に合わせて見方を変えてたり、最初は主観、その後客観だったり、この中間だったりするのだろう。
この鑑賞スタンスは撮影スタンスにも影響する、というか撮影スタンスが鑑賞スタンスに影響してるのかも知れないんだけど、こちらもざっくり2つのスタンスがあるように感じる。
【撮影スタンス】
●創作表現派(creating派)
写真撮影は創作活動であり被写体は頭の中のイメージ・アイデアを具現化する為の素材・材料・題材(モデル)。カメラは撮影者の道具。その写真は撮影者が創り出した作品とする派。
●記録報道派(shooting派)
写真撮影は世界の記録であり被写体は再度見るため・見せるための対象。カメラは撮影者のもう一つの目。その写真は撮影者が世界をどう見ているかを知る手掛かり、実体験の証明とする派。
鑑賞スタンスと同じように、撮影スタンスも、中間のスタンスというのがあるかも知れない。
で、そもそもの撮影動機は何かと考えると、主に4つあるように思う。
【撮影動機と目的】
1)今を記録したいから、現体験を記録したいから。その主な目的は、今見たもの・見ているものを伝える為、後で改めて見る為。
2)カメラで撮るとどの様に写るのか・見えるのかという好奇心から。その主な目的は、カメラの特性や可能性を知ること、発見すること。
3)自分が世界をどう見ているのか、自分にはどう見えているのかを表現したいから、伝えたいから。その主な目的は、様々な視点を共有すること。
4)頭の中にあるイメージを具現化したいから。その主な目的は、内にあるイメージをアウトプットし共有すること、世界を創ること。
3)は1)と2)の結果のようでもあり、そもそもの動機でもある気がするが、これら4つの動機で人は写真を撮っているんじゃないだろうか。
他にも動機は沢山ありそうだけど、すぐに思い浮かんだのはこの4つ。そしてこれらの動機は、そうすることが「楽しいから」「好きだから」「意義があるから」という感情に支えられていて、だからこそ写真を撮り続けてるんだろうなと思う。
とまぁ、「カメラはただの道具」という発言に違和感を感じ、写真に対する自分のスタンスは何なのかなぁ、ちょっと整理しようと思って長々書きました。
何かを表現するために撮るのか。
何かが表現されているから撮るのか。
ある写真家はこう言っていた。
写真になったとき世界がどのように見えるかを発見するために私は写真を撮る
―ゲイリー・ウィノグランド―
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